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半世紀前まで日本の一般国民は病気をしても医者にかかれず、臨終の際に医師から脈をとってもらうことが人生最期の念願であった。
いつでも、どこでも、誰でも同じような医療を受けられる国民皆保険制度ができてまだ35年である。当時の開業医の多くは保険診療を一種の慈善事菜と誤解し、必要な治療を施すにはかえってマイナス面の多い制限診療だと思い込んだ。これには開業医側の責任ももちろんある。
しかしながら我国の医療が伝統的に患者本位というよりも、医療を提供する側の都合によって運営されてきたということが大きな要素となっていることも事実である。日本の医療費の算定方法は基本的な部分に問題がある。
自由主義経済下にあって公定価格が存在し、病気を治すため必要な医師や看護婦の人件費、技術料等について適正な原価計算もなければ、諾設備の減価償却の調査も一切ない。中医協は医療費を安く抑えることに知恵をしぼるだけだから医療の現実とかけ離れた医療費改定が繰り返される。
確かに1回の受診当りの医療費は欧米諸国に比べてはるかに低額で診察料、再診料、技術料がすごく安い。なぜこんな安い受診料で国民一人当りの年間医療費が高くなるのか? アメリカが5.3回、フランスが5.2回、イギリスが4.O回、スウェーデンが2.7回に対して日本では一人の年間受診回数が21回と異常に多いからである。これは国民皆保険制度の弊害であるかも知れない。
やはり受益者負担は存在して当然であろう。しかしながら国民一人当り総生産で世昇第一位の国が、対GNP7%しか医豪費に使っていない。アメリカは13.5%である。国民の健康と生命を守るための医療費を出し惜んでいると言われても仕方がない。医療のみならず、全ての企業体は何らかの形で社会に貢献していなければそれらは社会に存在する価値を失う。
しかしながら、企業体等は市場経済の中に存在しているが故にその価値は自ずと消費者の判断に委ねられてしまう。従って一般に企業の「生産性」は使用した経営資源に対する「収益」の割合で判断可能である。ところが医療の場合には、特に保険診療においては「生産性」が二重構造をもって存在している。簡単に言えば「算術」と「仁術」と言えるであろう。
医療技術の高度化に伴い、国民医療費は増加の一途をたどりその抑制が望まれている。しかしながら、診療行為の一つひとつは社会貢献度の高いものであり、一人でも多くの人に行うことができる経済的環境をできるだけ少ない経営資源で構築する。
このような「医療の総合生産性」を高めるために結果的に診療報酬が上がったとしても、それは単に医療費の増大をもたらす「算術」ではなく、現在の医療に求められている「仁術」そのものではなかろうか。
戦後、経済大国への道を突走ってきた日本の競争社会はいつの間にか独特の政治風土と金権思想を形成し、それが『弱者切り捨て』、さらには医療問題軽視の風潮にもつながったようにも思われる。その意味では政治家や厚生官僚、医師及び患者達が頭を切り換えない限り医療問題の真の解決はあり得ない。
この行政主導型医療が今回のエイズ問題に限らず現場で様々な問題を提起している。
我国の場合、臓器移植とか、人工受精等、最先端先靖医療の派手な情報はマスコミでよく報じられる反面、最も基本的な医療制度や医療実態についての正しい情報が決定的に不足している。そのため、病人やその家族以外は医療の現場にほとんど無関心であろう。
アメリカの医療現場はストレッチャーで運ばれた病室のベットの枕元に「患者の権利」という15項目の内容の印刷物が置いてあり、日本の場合は病院側の都合ばかりを優先された「患者心得」が渡され、ロクな説明もなしに署名捺印を要求される。また、末期状態のガン患者さんの場合、熟練した主治医なり担当看護婦なりが20分〜30分、ただ横にいて手を握ったり、お話を聞いてあげるだけでもいいというケースは少なくない。だがそれをやってあげるだけの経済的、時間的余裕がないというのが日本の医療現場の現実である。自分の患者さんに対するガン告知は、医者にとってその相手と死ぬまでちゃんとおつき合いするという覚悟なしに告知すれば、患者さんをいたずらに苦しめるだけの結果になりかねない。
この問題を解決する唯一の方法は、ガン告知を声高に論じたり、日本人の意識改革とか、患者の権利とかの難しい議論をするよりも、まず現行の医療制度を根本的に見直し、病院の現実を変えることであろう。
世界一物価の高い東京と地方の小村落とは病室代も食事代も全て同額で、国民宿舎の半額以下である。
これで経営が成り立ったら経済学は不用のはずである。一目で部屋全体の見通しがきく大部屋システムは、個人のブライバシー等を一切無視する代りに、各患者の様子をつかむのに小人数の看護スタッフで可能となる。これはブタの飼育場と同じ発想であって、ブタ同然に扱われる患者の方こそいい迷惑である。しかし、厚生省が決めた保険点数制をバカ正直に守っていたら、病院経営は間違いなく赤字となる。
日本では政治家も財界人も官僚達も医療問題に本気で取り組んで居るようには見えない。それが社会全体の風潮に大きな影を落とし、人間が生きていれば病気をするのが当たり前なのだがこの国の競争社会では病気は常に負の要素として受け止められる。「国民のためのよりよい医療」、つまり医療の質の向上という観点が抜けている。
中央官庁お得意の効率主義だけを優先させていては医療システムの改善などできるわけがない。日本の医療の裏側に隠れた医療行政のムダと怠慢は一般国艮の想像をはるかに超えるものであると言わざるを得ない。
真に「豊かな生活大国」の一つとして医療システムの充実は欠かせないものであると考えるなら、行政、医師、国民はもう一度医療制度そのものを見直す必要があるのではなかろうか。
生老病死という言葉があるように、人間は必ず病気をし、医者の仕事がこの世から消えることはない。
参考文献 高岡善人著 (講談社)
「病院が消えるー苦悩する医者の告白」
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