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発行人:恒川洋
編集スタッフ:岡部明美 五十部富美子 田島亜矢子 高橋淳子
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vol.11
1996.04 |
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まず、現代社会で課題になっている医療に関する二っの問題を提示したい。
第一の問題は、生命倫理の問題である。今日の先端医療の場では、“いのち"がモノ化され、生命の尊厳性が失われつつある。
そして、それが経済と結び付き、大きなビジネスとして展開され始めた。たとえば、遺伝子の治療や操作、臓器の売買、ヒトヘのホルモン投与による成長の操作、代理母、精子バンク、卵ドナー、凍結受精卵、胎児の脳細胞の利用、さらにはヒト受精卵のクローン化などである。
我々は、これらに大きな戸惑いと末恐ろしいものを感じる。人間は生命の神秘にどこまで手をさしはさんでいいのだろうか。また、自然の摂理をどこまで侵していいのだろうか。
第二の問題は、末期患者における死の受容とそのサポートの問題である。高齢化社会の中で、老いや死をどう受け止めるのか。また、ガンやエイズの患者が、死をどう受容し、死の瞬間までいきいきと生き、いのちの満足をどう実感するかという間題である。
死がタブー視される中で病名告知の困難さの問題。そして、末期患者を精神的な立場でどうサポートするかという問題である。
これらの問題は、単に自然科学的な立場だけでは解決できるものではない。普遍宗教の立場でも考えていかねばならない。西洋の近代科学の行き詰まった問題について、東洋の哲学にそれを超えて行く道が見いだせるかも知れない。これらの問題は、核の問題とともに、人類にとって焦眉の最も大きな問題である。
 
さて、このような中で西洋の近代科学は、人間を「万物の霊長」とし、それに恩恵を与える科学自体を絶対善とし、イギリスの産業革命以来、進歩、発展、向上を最善として今日の社会を築いた。
しかし、その結果、地球は明らかに、滅亡の方向をたどりはじめた。それは、人間至上主義、非自然主義の結果である。そして、その中での、生命倫理の基準は、「人格」に与えられた「人権」、あるいは「基本的人権」であった。従って、「人権」という概念によって裁くということで、問題解決の統一的基準を設定し、運用されてきた。
この流れの中で、リピィング・ウイル、自己決定、インフォームド・コンセントといった慨念が倫理基準として浸透してきたことは周知のとおりである。しかし、これらの価値観をゆるがしてきたのが、末期医療のQOL、遺伝子治療の『優生思想」、死の再定義などである。結局、人権、習俗、功利(合理主義)がぶつかり合って混乱しているともいえよう。

このような状態の中で環境倫理では、仏教の共生思想(権尾弁匡の共生の哲学)が注目されはじめた。そこで今、東洋思想の底流にある自然思想(たとえば、仏教の自然法爾や中国思想の焦為自然)に上に示した問題の解決の方向をみいだしたい。
「自然法爾」思想の根本原理は、インド2,3世紀の哲学者、ナーガルジュナの『中論」にある。平易にいえば「有無を離れる」という考え方である。親鸞などの日本仏教の核心をなす思想である。つまり、あらゆる価値観を相対化し、それにとらわれず、自然つまり、ありのままに身をゆだねるという考え方である。「あるがまま」(無我)である。(これは何をしてもよいということではない。それは「わがまま」であり、「我」である。
東洋思想には、基本的に自然のままに」という考え方がある。大きな自然に対し、それに敬慶(けいけん)な思いを持ち、それに身をゆだねてゆくという考え方である。犬自然に対比して、自己を見つめたとき、有限で、ちっぼけな自已自身が見えて来る。人間の小賢しい知恵で、自然の摂理を侵していいのか。
それよりも、自然の摂理を侵してまで、あるいは他を犠牲にしてまで、自我的欲望を満たそうとするわれわれの在り方をもっと課題にすべきである。自我をどうコントロールするかということである。つまり、自然という概念を倫理の基本概念としたい。
また、末期医療における老いや死の受容も、同様である。老いや死に挑戦するとか、勝つという人があるが、勝つことができるか。人はだれしも、必ず老いて死ぬ。
老いや死に挑戦するとか、勝つという発想をするかぎり、老いや死はその人にとって敗北になり、不本意な死でしかない。そうではなく、いかに受容するかという事でなければ、安らかな死にはならない。何も、上手な死に方をすることもいらないではないか。痛いときは痛いといい、苦しい時は苦しいといってありのままに死ねばいいではないか。
そう腹がすわったとき、結果的に安らげるのである。それが前にも述べた自然法爾である。善し悪しのものさしを離れたときに結果的に安らげるのである。
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Books◇田代俊孝先生の著書
☆「いのちの教育@心を支える・ビハーラ」(法蔵館)
☆「広い世界を求めて」(毎日新聞杜)
☆「悲しみからの仏教入門」(法蔵館)
他多数
《連絡先》〒453名古屋市中村区稲場地7−1同朋大学内
TEL 052−411−1111田代研究室(内線352) |
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Q:C型肝硬変で治療中です。最近、お腹が張り、足がむくむようになり、医者は栄養不良で肝機能の悪化がひどいので、入院を勧めますが、前回、点滴をしてただ寝ていただけだったのでしたくありません。通院では無理なのでしょうか?また、中国の漢方の効果についても教えて下さい。
A:恒川洋(恒川クリニック、当振興会会長)
連絡先 052-452-1270 〒453名古屋市中村区太閤1−22-13恒川ビル4・5F
「肝心要」(かんじんかなめ)という言葉があるように、肝臓は心臓と並んで、大変重要な、体の中でも最も大きく、重い臓器です。
その働きは、主に代謝、解毒、貯蔵であり、いわば体の中の化学合成工場、汚水処理場、倉庫・流通センター、再生工場を兼ねた多機能臓器です。また、非常にタフで、我慢強いいことから「沈黙の臓器」と呼ばれています。
この頻丈きわまりない肝臓が、様々な原因(肝炎ウイルス、中毒性、アルコールなど)で肝炎を起こし、肝細胞の破壊と再生を繰り返した結果、肝臓が結合組織に置き換わった状態が肝硬変です。
肝硬変とはタフさが売り物の肝臓がその我慢の限界を超えたということです。栄養不良による全身の浮腫は肝の機能不全を意味し、赤ランブが点灯しているような激しい状態にあることを示しています。
この状態を、西洋医学では非代償性肝硬変と呼び、安静アルプミン製剤の点滴による栄養状態の改善、浮腫に対する利尿剤の投与などを要します。
さらに、門脈圧亢進による食道静脈瘤、肝癌の発作のチェック、解毒機能低下に伴う肝性脳症の予防のための食事療法が必要であり、患者さんにとっても入院治療の方が楽でしょう。
今回のように自覚症状があまり強くない場合には、ただベッドに寝せられて、来る日も、来る日も、点滴漬けといった感じを持たれても止むを得ないかも知れません。
しかし、非代償性の肝硬変とは本来タフな、肝臓が自分だけでは十分に機能できず、ギブアップ寸前となり、助けを求めて喘いでいる状況なのです。
したがって、この際自覚症状の多少にかかわらず、日頃から黙々と働き続けて過労状態となった肝臓の苦しみの叫びに耳を傾け、いたわりの気持ちを持って、少し休ませてあげることが必要でしょう。
入院治療によって、機能が回復した代償期になれば、普通の日常生活は、十分可能です。
最近では大量のビタミンCの点滴などにより代償期が継続し、症状も輕く通院で十分なケースが増えており、肝硬変を“肝障害の終末像で治らない病気"とネガティプに捉らえて悲観的になる必要はないように思います。
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A:千坂正毅(複十字病院東洋医学科、当振興会顧問)
:連絡先03-3792-5366〒153東京都目黒区中目黒5-7-31中目黒ハウス201
入院しながら漢方薬(煎じ薬)を服用する中西医結合治療が理想的です。中国医学ではC型肝硬変と言う病名はありませんが、古典には、肝の病気を見た時には、脾(消化器系)に及んでいる事を知り、肝の治療ばかりではなく脾の機能を高めることが基本となるのです。
C型肝硬変に対する中医治療は、ネ去邪(ギョジャ)(体の中の余っている機能あるいは物質、病的な産物)ここではC型肝炎ウイルス・腹水、肝硬化などです。挟正(フセイ)(体の中の不足している機能あるいは物質、免疫能を高めること)が原則となります。
肝(茵陳嵩湯(インチンコウトウ)竜胆潟肝湯(リュウタンシャカントウ)、荊芥連翹(ケイガイレンギョウトウ)と脾(平胃散(ヘイイサン)六君子湯(リックンシトウ)補中益気湯(ホチュウエッキトウ)の薬を併用すると良いのですが、エキス剤では余り効果は期待できないのです。
私は、扶正として黄耆(オウギ)(30〜50c/日)を大量に用います)白朮(ヒャクジュツ)茯苓(フクリョウ)を補気、利湿薬として、当帰(トウキ)赤芍(セキシャク)薬を補血、柔肝薬として用います。ネ去邪(ギョジャ)としては、木通(モクツウ)車前子(シャゼンシ)沢瀉(タクシャ)赤小豆(セキショウズ)などの利湿薬、桃仁(オウニン)紅花(コウカ)などの活血化オ薬(カッケツアオヤク)、海藻、昆布、牡蛎(ボレイ)などの改堅薬を用います。
自験例を示します。60才男性、全身浮腫、胸水、腹水あり、診断は肝硬変。入院中2週間の中医治療で、体重60kgから52kgとなり浮腫も取れ、胸水・腹水も消え失しました。
処方は、黄耆(オウギ)、蒼朮(ソウジュツ)、厚朴(コウボク)、茯苓、白芍薬(ビャクシャクヤク)沢瀉、牡蛎(ボレイ)、苧薩子(テイレキシ)大轟(タイソウ)、大黄です。
以上C型肝炎、肝硬変、肝臓癌に対して中医治療(特に湯液)は相当の効果が期特できます。

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 谷口和人 野並クリニック院長、当振興会理事
連絡先052−895−3322 〒458名古屋市緑区鳴海町小森8−6
「協同作業から治癒へ」
2年程前、癌の体験者、医師、ジャーナリストを混えた座譲会を聞く機会があった。その時の内容はあまり記憶していないが、今でも強く印象に残っていることがある。体験者としての生々しいリアリティと医師、ジャーナリスト側の評論家的、分析家的態度との間には人きな溝が存在しており、分析家たちに深い失望感を覚えたものであった。
体験者に共通してみられたものは、医療という治療は施されたのだが、その治療行為がそのまま治癒に結びついたのではなく、治療を介して治癒系のスウィッチが押された。そして、ダイナミッケに治癒を促進させることができた。そう感じられたのであった。
近年、コンピューターによる人工知能の研究開発が進み、数学や高度の計算などは可能になったが、翻訳などはまだ不可能だという。
外国語を機械的に置き換えても、全く意昧の通じないことになる。その場の全体的状況を人はイメージ、つまり、ゲシュタルト的「場の概念」によって把握している。最近、医療現場に導入され定着したものに「インフォームド・コンセントjという概念がある。
単なる説明と同意では、治療から治癒へとは進まず、治療者と患者関係、生きた人間と人間の間で治療ではなく治癒を目標とした共同作業によって形成される場が生まれなければ、むしろその関係は分裂的に作用し、治療者はあくまで治療者、患者はあくまで患者となってしまう。人間は対話を通して他人を受け容れ他人にも受け容れられる。
それによって、自己超越性の獲得がなされ、他人との共感が可能となる。
なぜ.共同作業が必要かというと、治療者は真に信じた治療法を用いる、そうすると治療者の信念は患者の信念形成に触媒的に作用し治療への有効性を高めることができる。また、その作業は治療者をしてどれだけ本気にさぜるか、「乗せる」かということも含めて治癒系活性化に必要ではないかと思う。
BOOKS 谷口和人先生が薦める本
☆「癒す心、治る力」アンドルー・ワイル著 上野圭一訳 (角川書店)
☆「免疫の意味論」 多田富雄著( 青土社)
☆『イメージの心理学」 河合隼雄著 (青土社)
☆『前世療法」 ブライアン・L、・ワイス著 山川紘矢・亜希子訳 (PHP研究所)
☆「ゴッホの手紙」J・V.ゴッホーボンゲル編 硲伊之助訳( 岩波文庫)
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矢吹紫帆:
当振興会顧問。京都市在住。シンセサイザー・作曲・演奏
5歳の頃、琴の音を聴いて衝撃を受け、音楽に目覚めクラシックピアノを学ぶ、プロを目指していたが挫折し、大学卒業後、'結婚、プロの道を断念する。離婚を機に再度音楽家を目指す。さまざまな困難を経ながらも常に自分の音楽の原点を追い続けてきた。今、しなやかで美しい矢吹紫帆の世界を繰り広げている

天から降りて来たメロデイ。矢吹剰岨さんの「忘れな草」を初めて生演奏で聴いた時にそう思った。コンサートの「即興コーナー」で生まれたというこの曲の美しさ、心地よさはそう表現するのが最も感覚的に近いものだった。コンサート中の矢吹さんは、有名な巫女さんスタイル「ヒーリングミュージック界の小林幸子と呼ぶ人がいるのよ(笑い)」と、矢吹さんは言う。
確かに、その衣装の華美さだけを見ているとそう言えなくもない。しかし、ライブステージから放たれるものはむしろ、宇宙のリズムやメロデイ、ハーモニーを謳う。触媒の役を果たしている矢吹さんのエネルギーそのもの。
彼女の曲は、コンサー一ト中、即興で作曲されるものが少なくない。その時の矢吹さんは、個としての存在を超えて、大いなるものに身を委ね、宇宙空間をたゆとう意識そのものになってしまうのではないだろうか。そういう意識になった時、天から降りてきたメロデイーが矢吹さんを通して観客にプレセントされるように思える。
このような、美しい自分の音楽の世界を作り上げるまでの矢吹さんの人生は、まさしく波乱万丈。まるで本当に自分がやりたかったことや願っていた人生に出発させるために、神様が次々に試練を与えられたのではないのだろうかと思えるような人生を歩んでこられた。修羅の世界をきっちり見てきた人だからこそ見せる仏の顔、矢吹さんのコンサートを初めて体験したときにそう思った。
いやむしろ、一人の人間の中には、誰しも仏の顔も修羅の顔もあることを教えてくれているようにも思えた。矢吹さんが、一人の女性としてもとても魅力的だと思うのは、舞台を降りた途端、フツーの女性に戻り、スタッフとともにTシャツ、ジーンズ姿で重い機材をテキパキと片づける、その自然さだ。
神殿の中の巫女さんスタイルが絵のように決まる人が、一方でおキャンな魚河岸のお姉ちゃんのようにもなれるなんて、とても素敵だと思う。当振興会の恒川会長とは前世で兄妹だった、とある人に言われたそうだ。ご両人の心境や如何に。
さて矢吹さんは、3年前から「1O万人とふれあうコンサート」と称して、遠くても、近くても、250キロの機材を担いで、セッテイングから演奏、演出、ヘアメイク、片づけにいたるまで全部自分たちでやり、全国行脚をしている。地上最強のパートナーと自他ともに認める現在の夫、矢中鷹光さん(ポーカルパフォーマンス、社長、料理担当)と共に。
「波乱万丈だった私がここまで音楽を続けて来られたのは、周囲の人達の暖かい励ましがあったからこそ。その、恩返しが出来ればと思って、この3年間で北から南まで、172ケ所、刑務所、過疎の村、病院、小学校、養護学校などでコンサートを開き、約5万人の人々と感動的なふれあいをしました」と矢吹さん。さて、明日は例処へ。く岡部)
◎連絡先:(有)紫帆ミュージックカンパニー 電話075-722-0887・FAX722-1353
矢吹紫帆・《泣きたいくらい優しいシリーズ》
第一弾 Forget Me Not Blue 「忘れな草}
第二弾「月のしずく」
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東海ホリスティック医学振興会では、医療関係者のみならず、一般の方々とともに、新しい医療のあり方を考えていきたいと思い、昨年、会員の皆様に「現代の医療に望むもの」というアンケート調査にご協力いただきました。
すべて記述式の手間のかかるアンケートであったにもかかわらず、多数の方々に大変貴重な意見をいただきました。今号より3回にわたり、その結果をご報告させていただきたいと思います。
1)あなたにとって「健康」とは何ですか?。
●心身のどこかに問題があったとしても、自分の力で治せるという自信のある状態。
●身体と心のバランスがとれていて、心身一如の状態であること。朝起きて、今日もいのちが連綿と続いていることに感謝できる心があること。
●一般的には検診をして「異常無し」といわれること。でも、ホリスティックを知ってからは、自分がイキイキ生きていることが健康なのだと思うようになった。
●自分の人生の目的や生き甲斐のあることをしようとするときになくてはならないもの。健康は生きる目的ではなく、あくまでも、したいことをして生きるための手段。
●何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでゆく人間。何にもこだわらず、とらわれす生きてゆくことができれば自ずと健康的な生き方が出来るのだと思います。
●日々楽しく過ごせること。たとえ持病があったとしても。
●家族の生活の質を高めるため、家族を守るために必要な条件。
●朝の目覚めが良いこと。快便、快食、不安、心配事がない。あつたとしても対応きること。
●健康を失ったとき、そのありがたみを感じるもの。
●精神的にも肉体的にも、本当に健康なときは健康を意識しない。健康とは健康を意識しないで生きていられること。
●健康とは生きていることが楽しい状態。病気でも貧乏でも心が満たされているのなら健康。
●心身に痛みのない状態。心にやすらぎがあり、身体に柔らかさがあること。
●緊張とリラックスのバランスがいい状態。身体からのメッセージにすぐ気がつき対応できること。
●自分のいのちが生かされていると実感できること。

2)あなたにとって「病気」とは何ですか?。.
□自分の身体から発せられている、ささやかな警告を無視して、身体と感情が不調和になった状態。自分の感情が正しく周りの人達に表現できなくて開放されていないことで起きる現象。
口病気とは文字通り、気(生命エネルギー)が病む(止む)ことで、大宇宙のエネルギーが身体のどこかでストップしていること。
口心身のどこかに普通でない間題があるという自覚があり、自分の力では対応し切れない状態。
口心の状態が不安定なときに起こる身体の変化、状態。頭と心とからだのバランスが崩れているということを伝えている。
口起こるべくして起こるもの。本人の人生にとって必要だから起こる現象。
口自分の人生をふり返って見る反省期に起きる現象。偏りがないか、とらわれがないかどうか。
口少しづつ自分がつくってきた身体と心のクセ、生活習慣のクセに気づいて、改善しなさいというメッセージ。
口最も自分の弱点が表現される現象。病気になることで何かのバランスを取ろうとしている。
口自然と人と自分とのつながりを失った状態。自分に自信をなくし、心身が常に緊張していることで起きる。
口病気とは恐れ。思い込み(孤独、人間不信)などで自分を見失って生きている状蟻。
口身体と心の感受性が鈍り、身体からの警告をキャッチできず、対応できないことで起こる。
口自分の生き方に無理なことがあると教えるために起きる、気づきのチャンス。病気には意味がある。
3)あなたは、どのような「病院」を望みますか?。
◎できるだけ普通の生活の場からかけ離れず、日常性を有する施設。決して、社会から隔離された特別の場所という雰囲気にしてほしくない。
◎患者の内面的な部分、心の部分にも理解のある医者がいる病院。
◎病気を治すのではなく、どうしてその病気になったのかを考えられる場。薬に頼る治療は最小限に止めてほしい。
◎人間を疎外しない暖かい雰囲気があって、病気に前向きに取り組んでいるところ。
◎医者と患者が上下関係ではなく、癒しあえる関係であること。
◎心も身体も診られる医者、つまり人間をトータルな存在として見られる医者がいる病院。
◎患者に対して、治療法にはいろいろあるということを示し、患者にも治療の選択権があることを受け入れている病院。
・医師、看護士が、医療技術の面だけでなく、人間として信頼がおけて、質のいいこと。
◎こりかたまつた組織、派閥、営利目的、固人的欲求のための病院ではなく、同じ限られた生命をもつ人間(患者)を対象とした場であってほしい。人を癒すためには、医療者自身が癒されていないと駄目だと思う。
◎現代医療はマニュアル医療。もっと時間をかけて問診したり、触診したりといった、あたたかな、人間味のある病院があるといい。患者をコントロールしようという医者が多すぎる。
◎先生と話がしたくなるような病院。先生の笑顔を見ているだけで元気になり、病気を忘れてしまうような病院
◎患者の緊張や不安、恐怖感をどれだけとってあげられるかということに配慮が行き届いている病院。
◎緊急時に対応できる設備、体制の整っているところ。夜間も無理な体制を作らず、事故やミスの少ないところ。
◎患者がリラックスできるソフト面にも気を配っているところ。
◎無用な手術をしない病院。医療情報が患者にオープンになっている病院。
◎医者は患者に学ぶという姿勢を持っている医師や看護師がいる病院。
◎西洋医学と東洋医学のお医者さんが協力して一人の患者に対応してくれるチーム医療ができている病院。そして、どちらも保険診療でうけられるような病院。
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秋桜(コスモス)の会(3/7)レポート
今回は、8種類の写真パネルの中で一番魅かれ、気に入ったパネルの前にそれぞれ集まりました。
そして、じっと見ては目をつむることを繰り返しながら、イメージの世界へ入ります。
なぜ、これを選んだのか、どうして気に入ったのか、思ったことや気づいたことを自由に語しました。「このお地蔵さんは自我のない表情で心が安らぎます」「壮大な澄みきった空の中で飛んでいる一羽のトリは、自由と孤独がみえ、今の自分です」「真赤なほおずきたちは子供で、枝につながれて真赤な実が外からみえるほおづきが私です。家庭と夫につながれて、本音を見透かされているのは、自分のようです」。
皆さんがそれぞれ感じ思ったことを素直に表現されるのを聞いて“はっ”っと気づくことの多さにびっくりすると共に、和んだ表情に変わっていく姿に不思議なやすらぎを覚えました。
後半は、体ほぐしです。全身の気を流す“サポート法''と賢い掌(てのひら)という``手当て法''を二人一組になって行いリラクセーションのひとときを過ごしました。(安田)
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事務局便り
厳しい冬の寒風がさわやかな春風に変わり、おだやかな季節になりました。
春は出会いと別れの季節ですが、事務局も高僑、岡部が退職し、ゆらぎ園の新しいスタッフである出口が加わりました。岡部はこれからもHOLOS通信の編集スタッフとして、執筆に協力くださいますので、これまで同様、皆様にご愛読いただけると幸いです。
今年6月にはいよいよ当振興会も満5年を迎え、5周年記念セミナーを開催致します。
6月16日(日)牛後1時から名古屋市民会館で行います。内容は、後日送付致しますご案内をご覧ください.多数のご参加をお待ちしております。
(田島) |
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