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子供と作る
田んぼの中を東西にまっすぐ伸びた一本道を車で急ぐ。背にした鈴鹿の山々は中腹まで真っ白に雷化粧をしていて、朝の陽にまぶしく輝いている。山から吹きおろして來る冬の風は、さえぎる物のない、この田んぼ道をまともに通り抜けていく。いつもの通りなれた道と見なれた景色なのだが、今日は少し緊張している。目的地は保育園。卒業記念の制作に作陶指導がまっている。車の中にいても北風の冷たさが、感じられる真冬のこの季節。例年のことながら、張りつめた気持ちを持ってしまうのだ。
毎年、この地域のいくつかの幼稚鰯や保育園の卒園記念の作製に手伝いをしている。最初にやり始めた子ども達は、もう中学生になっているくらいで、何年もやっていると慣れもあって、勝手もわかり難なく作業を終えることができるのだが、やはり対象が5才〜6才の子ども達だけに、私の指導で、はたして当初の目的が達せられ成果を得られるか、などと考えると慣れたことと、気楽には構えていられない。
今年は、テーマが「お面」。子ども達が各白で考えて、「お面」に挑戦する。担当の先生は、毎年入れ替わってゆくので、今年の先生も作陶に関しては未経験者である。技術面は私が担い、先生とは子ども達の興味や物への認識状況、そして作業に対する積極性などについて話しあいながら、あらかじめテーマとブロセスを決定してゆく。
年によって子ども達はいろいろな面で違いがあるのだが、今年の場合はより積極的で、豊かな創造性を持ち合わせているという先生の話と、すでに描かれた絵を見せてもらった総合的な判断から「お面」に決定した。子ども達の絵からは、平面から立体に転回されるダイナミックな様相が感じとられたと同時に、子ども達の持つ創造力のみずみずしさにも、心ひかれるのであつた。
その後は、参考になると思われる「お面」の写真(能面であったり猿楽、外国の民俗的なものなど)を見せたり、顔の話や顔の表情についての話を子どもたちに聞かせ、「お面」の認識をうながした。そして、作陶開始。事前のアプローチのせいもあり、スムーズに人ることができたと思う。が、それでも個々の差があり、どんどん作り進めていく子もいれば、なかなか手の進まない子もでてくる。そんな中で、人人の様子や調子を見ながら、各々にアドバイスや励ましをまぜて話しかけてゆく。
この時、急ぐのは禁物だ。予備の分も含めて、時間は十二分に設定しておかなければいけない。子ども達のぺ一スを保つことにより、彼らのもつ創造力や作ることに対する「思い」を存分に引き出すことができる。充分な時間があればこそ、指導者は子ども達一人一人にあわせたやり方で接することができるのだ。子ども達の創造力や「思い」は、大人以上に柔軟なものかもしれない。私は子供と向さ合う時、その子に挑戦する気持ちにならなければならない。子供との作陶は、どこまでいつまで子ども達の柔軟性にチャレンジできるかを間いつづけることで、私には大そう魅力的なものになっている。
私自身の「作ること」
私の仕事場は、住居のすぐ裏手にある.世に言う職住一体というやつである、作業を移動時間無しで、すぐに始められろ便利さもあるが、住と職の間の持つ趣きにかけることもある。ある時は、そのメリット甘受し、又ある時はそのデメりツトを渇望することにもなる。仕事場の前は川が流れ、その向こうは山につながる。そびえ立っというほどではないが、「雲母高原」という名である。雲母と書いてキララと読む。
標高は900mちょっとだと、記憶する。伊勢湾から入る南の湿った気流が最初にぶつかるために降水量が多く、よく豪雨になると雲母高原で○○mm降雨量の強い雨が降ったと報道される。それを聞いた友人から、「人丈夫か?」の電話が入ることもたびたぴだ。私は「いや、大丈夫じゃない。半分でいいからすぐに見舞金を振り込め」と返事するのだが、いままでに実現されたことがない。そんな豪雨があると、川は普段の静かな様相を一変させ、茶色の濁流となり、はげしい勢いで押し流してゆく大きな岩でさえも。そして雨のあがった翌日には、もとの静かな川がもどってくるのだ。川は沈い流されてたいへん美しい水となる。それまでも清らかに見えていたのに、豪雨のあとの透明感が増した清らかな流水は、普段とはくらべられないほどである。川向うの山は二次林の杉が多く紅葉の楽しみがないのは残念である。
私がこの地に移り住んだ25年程昔は、まだ山桜がこの山にもあちこちに見られ、花の季節には居ながらにして花見ができた。湯の山の桜と言えばこの雲母の山桜が有名であったと聞いた。普段からそこに住んで、日常の生活を営んでいると何もかもありきたりで、周りの風景の変化に鈍感になってしまう事がある。それがある時、あれだけ美しかった山桜が見当たらないことに気がついた。山桜が無いのである。時の流れの中で、枯れてしまったのか。山の中にあって離れていても、あれだけ大きく見えるのだから、樹齢が終いえてしまったのかと考えをめぐらせたのだが、ちがっていた。現実は、桜の周りの杉の成長が早く、この25年間で、桜をおいこして隠してしまったのだ。そんな中でもまだ、いくらかの大きな桜は、杉のあいだから上部をみせてくれている。自然は、正直にあるがままの姿をみせて、あるがままの作用によって動き、そして変化していく。そんな豊かな自然の中に、私の仕事場がある。自然のもつ魅力を常に感じ取れる幸せに、感謝する毎日を送っている。
そんな私が;最近「石のかたち」と名づけた作品を作っている。仕事場の前を流れる川にころがっている石をモチーフにしている。ロクロで中が空洞の丸いボール状のものを作り、それをランダムに転がして、川の流れの中で石がころがっていくような気持ちになって、どういうかたもになるかわからないがそんな気分、そんな気分と心で歌ってそのかたちの変化を、「これでいい」と思えるまで楽しんでいく。この作品は作者としての私の意志となるようなかたちとしての自然のメカニズムが一体となった作品なのであり、どちらかが優先するということはないのだ。私の意志がどのような姿として変化させられていくかは定かではないが、ランダムにころがすことで得られるそのかたちは、私のもつ、作りたいという意志がないことには存在しないことも確かである。私の意志と、私の生活の場での自然との関わりの趣きを、私は作品づくりの中で昧わっている。
私は多くの時聞を「つくること」に費やしている。そのつくるは、「創る」と「作る」の2つであり、それらの試行錯誤のくりかえしで進めていく。しかしながら順調に運ぶ時ばかりではなく、しぱしぱゆきづまってしまう。そんな時は、頭の切り換え、発想の転換が必要となってくる。このような場合には、職住一体は少しデメリットかもしれない、職と住の空間のへだたりがあるといいかなと思うのだ。人の発想の継起とは、かくも単純なきっかけなどによってあみ出されることが往々にしてあるのかもしれない。そうはいっても「つくること」がはかどらない状況におちいってしまうと、なかなかやっかいなものである。
あれこれ思いをめぐらせ、作品の用途や形状、寸法、色や装飾技法などが頭の中で展開する。そんな中でこの混乱を打破できると考えられる方法を思いついた。それは、私のつくることと、作品に社会性を持たせるという考え方である。私の作った作品が世に出て、誰かが使ってくれることによってその人の生活が少しでも楽しいものになるための手助けになりえて、その人の思いが広がってゆくことができるか。私の内なる思いのみで「つくる」ことを進めていくのではなく、私をはなれた作品の祉会での存在のあり方を、側面からみるということである。
菰野聖十字の家にての作陶
私はずい分と長い間、障害者の方たちと一緒に焼物作りをしています。私白身が焼物を始めた頃からですから20年間程になるでしょうか。その問作陶を適して多くの聖十字の家の方々と出合い、共にたくさんの経験をつんできました。私が障害を持つ方々と一緒に作陶をやっていく、はっきりとした理由が述べられないのですが、もっともそれらしいとおぼろげながら思いつくのは、子どもの頃の遊び友達に障害を持つ子がいて、その子のやさしい心が、私にはいまだに忘れられない思い出のためかもしれません。彼と一緒に遊んだ遠い日々は、ほのかなまぼろしとなった今でも、私の心身に残っているのです。
菰野聖十字の家は、介護を必要とされるお年寄りや障害を持った方々が乍活しておられる施設です.ここで私は週に1回2時間程の時間で12名の方々と作陶をしています。12名の皆さんは休むことなく、はりきって参加しています。私はこの火曜日の午後の2時間、12名のみんなに作家としての立場を求めます。それぞれのもつハンディキャップをのりこえて、機能している手や腕や体いろいろを使って作陶してもらうのです。可能な機能の範中や思考能カの見きわめは私とみんなとの長い時間をかけてつくり上げてできた関係の中で見い出されたものです。
この関係がお互いの間の信用と安心を生み出しているのです。そしてこの関係こそ、ここでの作陶活動を進めていくエネルギーの源となっていると考えられます。それは又、作陶のみならず日常の人間の関わり合いとしても表れてくるのです。私が車から荷を下ろす時、風でドアがしまらないよう車イスに乗っておさえてくれていることがあります。帰る時も「先生気をつけて」と言語障害をもちながらも、一生懸命声を出して言ってくれます。お土産にと、みかん1個をプレゼントしてくれます。そのみかんは、ず一っと体の近くに持っていたのでしょう温まっていました。こんな普通の出来事が、私には心から豊かなものと感じられるのです。私は、作陶を通じてここの皆さんと、ごく普通の関係を持ちたいと思います。 |
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