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最近、中国四千牢の歴史を彷彿とさせる書籍を読みました。その中で、言葉としては知っていても、意咲不明な諺がありました。その中からホリスティックに関係があろうかと思われるものを、2〜3紹介させていただきます。
1.好死不如悪活
2.疾、在盲之上、膏之下
3.朝三暮四
1…「好死」とは立派な死に方、潔い死に方。
「悪活」とは惨めな生き方、見苦しい生き方。
そんな生き方でも、とにかく生き抜くほうが「好死」に優っている。
《もうかなり前に亡くなりましたが、私の親類に58歳のとき脳血栓で倒れた人がいました、右半分の唇と片側だけの手足が動き、やっとそれを動かしながら、終日家族をののしりながら、片足をひきずり仕事をしていました。しかし、丈夫なほうの半分の身体も、気丈だった心も、ボロのように使いはたして、身動きのとれない寝たきりの老爺になりました。歪んだ口が、やっと聞き取れる言葉を話し、僅かな粥だけがそこからすすれるだけでした。そして、そのまま18年生き続けて一生を終わりました。本人も家族もものすごく辛かったのでないかと私は思いました。それでも生き抜くほうが優れていると中国では言っています。
皆さんはどうおもわれますか?》
2…昔、晋の景公が重い病に倒れたときのことである。隣国ω秦から高緩という名医を呼んて診察を仰ぐことにした。その前の晩、景公は夢を見た。病が二人の童子の姿を借りてこんな話をしているのである。「秦から高緩がやってくるそうだ。俺達も危ないな、一体どこへ逃げたらいいのか。」「盲(横隔膜)の上、膏(心臓の下の薄い膜)の下なら安全だ。あそこへ逃げ込もう」さて翌目、高緩がやって来て、早速診察にかかった。そして診おわると、「まことに申し上げにくいのですが、病は盲の上、膏の下に入り込んでおります。ここは鍼も薬も届かぬところ、もはや治療のしようがございません。」と語った。景公は間もなく死んだという。
《日本では、「病膏盲に入る」、と言われている諺です。現代医学では何と言う病名がつくのでしょうか。今では死に至らない病気なのかもしれません。しかし、さすが名医高緩、晋における時の最大権力者に対して、死の宣告をしたのです。'当時の中国ではこれが普通であったのかもしれません。しかし、景公は高緩からもう駄目だといわれた時、現代人が癌告知をうけたのと同じように感じたのでしょうか。死の恐怖というのは、防ぎようもなく、逃れようもありません。一瞬、突然感じる生理的感覚は、なりゆきにまかせる他ありません。景公も死の恐怖を感じたことでしょう。》
そこで思い山されるのが、昔ある先生から聞いた話です。肺癌でご主人を亡くしたぱかりの患者さんが、「少し痩せてきて気になるので診察して下きい」といって訪ねてきたそうです。そして、「主人はとうとう癌だとは知らされずに悶々として亡くなりました。でも、そのような嘘の診断をされて苦しんで死んだ主人のようにはなりたくありません。ですから、もし私が癌だったら正直に教えて下さい。手術や化学療法で癒らないなら、その時は断念します。しかし、私には準備することがありますので本当のことを言って下さい。」と言ったそうです。
外見は元気に見えたので、「ご主人が亡くなって疲れが出たんでしょう」と言ったそうですが、検査をしたら進行性の胃癌だったそうです、それでもすぐに入院すれぱ助かるか、少なくとも延命できると思い、「貴方が心配されていた病気でした」と告知したそうです。患者さんから「癌ですか」と聞かれたので、「そうです。すぐ入院して手術しましょう」といって入院させたそうです。しかし、開腹してみたらもはや手避れで手衡できるような状態ではなく、すぐ閉じたそうです。
普通は麻酔が効いているので、数時間意識が朦朧としているのですが、麻酔も少しでやめたので、患者はすぐに目を醒まして「もう済んだのですか、早すぎませんか」と聞かれたので、「難しい手術だったので」一部しかとれませんでした。だけど、化学療法をやってみたいと思いますので、少し副作用はありますが我慢して下さい」と嘘をついたそうです。
すると患者さんは「先生、出来るだけのことはやって下さい。でも、癌ですからうまくいかないこともあると思いますが、覚悟はできています。ただ、痛みだけは止めてくれることと、最後にはお世話になった方々に、『どうもお世話になりました。ありがとうございました』という喬葉を残して、死にたいと思いますので、口の中に管なんか入れないで下さい」と言われたそうです。先生はこの患者さんの望む通りにしてあげ、患者さんは望み通りの死を遂げたそうです。
「アメリカやイギリスのホスピスでは、末期患者でも口に管を通されることはないし、煩わしい静脈内点滴注射をされることもありません。上手にモルヒネを使って痛みのコントロールがされ、深夜に食べたいもの、飲みたいものがあれぱ、宿直のボランティアが持ってきてくれます。患者にとっては、この一口の嗜好品の方が注射液よりはるかに命を支えられるんです。」とも書っていました。景公の謡とはあまり関係がないことを書いてしまいました御寛恕ください。
3…昔、宋の国に狙公という男がいた。猿好きで、たくさんの猿を飼っていたが、やがて財産を食いつぶし、猿の餌代にも事欠くようになった。そこで、餌の栗を減らそうとして一計を案じ、猿共を集めて語った。「朝三つ・タ方は四つにするぞ。」猿共は一斉に不満の声を上げた。
「では、朝に四つ・夕方に三つならどうだ。」狙公がこう提案すると、猿共はたちまち機嫌を直したという。
《現在ではお薬を処方してもらう時、医師から何故この薬を処方するのか、又、服用の仕方を丁寧に説明してもらい、もし効果が現れなかった場合は処方の変更をしてもらうことが当然のこととなっています。しかし、昔、医師が神のように崇められていた時代は、患者から「この薬をのんでも少しも良くなりません。他の薬に替えていただけませんでしょうか」と恐る恐る言われた時、病気の専門家である白分の処方に自信のある医師は、患者からの訴えを詳しく聞くこともせず、「解った、では少し高いが高貴薬を出しておくから、飲み方を間違えないようにして下さい」と言って、以前と同じ薬を処方したという嘘のような本当の話がありました。
ところが、患者さんは感謝してこの薬を服用して、快方に向かったそうです。今では薬剤晴報が発達していることと、医師の説明は不可欠なものですからこのようなことは起こらないでしょう。しかし、いくら医学が進歩したとしても、医師と患者との関係性はある意味では変わっていないのではないでしょうか。患者さんは猿回しの猿になっているのかもしれません。》

東海ホリスティック医学振興会は今年創立15周年を迎えることになりました。創立10年を迎えるまでは、後援会・研修会・教室開催など主催並びに共催を数多く実施してきましたが、最近ではホリスティック医学指導者、及ぴ一人一人の会員さんが培ったそれぞれのネットワークによる教室、実践する施設、等に対する協カ・援助に当振興会の活動が移行しているのが実情です。医療の現場では、ホリスティック医学は総論ではなく、各論であるのが本来の姿ではないか、と考えている私には当然そうあるべきだと思っています。しかしながら、振興会としての活動ということになりますと、このままでいいとは言えないと思います。
創立15年を迎える今年、もう一度原点に立ち返り振興会の将来を見つめ直したいと考え、6月24日(土〕午後2時より、中区にあります中電ホールにて「創立15周年記念セミナー」を開催いたします。詳細につきましては後日ご案内させていただきます。
是非とも、会員の皆様方の参加をお願い申し上げます。
(有)金子事務所 代表取締役 医業経営コンサルタント |
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